« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月

2009年1月31日 (土)

『真贋ものがたり』

結局、ものの価値なんて人間の尺度で勝手に決めるもの。
自分が「価値がある」と思ったら、それで価値があるんだ。

骨董や美術品を中心に、ホンモノとニセモノについて、その定義から考え方、価値の生まれ方や見分け方まで非常にわかりやすく説いています。
一般的には「ホンモノ」がよく、「ニセモノ」がよくないイメージだけど、本書では「ホンモノ」と「ニセモノ」の双方を対比してその価値や意義について述べていて、必ずしも本当に「ホンモノがよい」とも、「ニセモノが悪い」とも言い切れないなと気づかされますね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Shiongan_2 新書としてはもはや古い部類ですが、
三杉隆敏『真贋ものがたり』(岩波新書,1996)

真贋の境もあいまいであることがわかる、4章の4節が個人的には一番おもしろかった。

よい本というのは、明確な答えを示してくれるというよりも、「本当に○○は~~か?」とか、「どうして○○なのか?」とか、新たな問いを投げかけてくれたり、疑問をもたせてくれたりするものだと思うんですね。
そういった意味では、「ホンモノってなんだ?」「ホンモノの価値ってどこにある?」と立ち止まるきっかけをくれる本だと思います。

ただ、私にとっての「ホンモノ」「ニセモノ」は、骨董や美術、ブランドの真贋ではなくて、どうしても「素材の真贋」という方向に思考が向かってしまいます。
たとえば、朱色のプラスチックのお椀に対して、「漆器のマネするな、ニセモノ!」って思うし、それを安易に100均とかで買ってる人を見ても悲しい気持ちになる。
それから最近では、重量を減らすために、小中学校で使う習字セットの硯を、なんと石ではなくプラスチックで作っていると知って、本気で憤った!!
子どもを安易に手を抜く方向へ流したうえに、墨を磨るという古来の文化や儀式を抹消するなんて何事だ!!道具の文化という礎をなくして、共に成り立ちし書の文化を語れるものか!!次代に受け継げるものか!!と。。。

…とまぁこんな具合に、素材の真贋に限っては明らかに「ホンモノ」にこそ価値がある。ていうか利便性とかどんな事情があるにせよ、ひとまず「ニセモノ」はあるまじき存在、というのが私にとっての「真贋」の考えなのです。
「真贋」といっても、定義や考え方、価値の見出し方は様々だってのが面白い。
軽いノリで、パラパラっと読める内容ですよ。

|

2009年1月30日 (金)

『幕の内弁当の美学』

今週チンタラ読んだ、榮久庵憲司『幕の内弁当の美学』(朝日新聞社,2000)。

旬の食材や身近な食材を多様に取り入れながら、見た目も味も美しく構成し、大衆に向けて運搬や即席といった利便性も図ってうまれた「幕の内弁当」には、日本人のもつ美学が凝縮されている。そしてこの「幕の内弁当」のシステムは、私たちの生活やものづくりの中でも、あらゆる場面にデザインとして見ることができる、という話。

Makunouchibentou_3 駅弁でも、給食でも、おせちでもなく、「幕の内弁当」でなくてはいけない。
あの蓋がついた箱にも、食材が一口サイズだということにも、幕の内という名前にも、すべて文化的な根拠があるというのにも確かに納得。でもそれが本当に「美」学と言えるかどうかは個人的には疑問を感じる。

日本人の文化が「幕の内弁当」に込められているという発想と着眼点は面白いと思います。そして、幕の内弁当の美学を、長所だけでなく短所についても言及している点では、さすがデザイナー。好感がもてました。
でも、「わび・さび」という日本人の重要な美意識や、「マイナスのデザイン」というものづくり精神についても触れるべきではないかと私は感じます。

いやーそれにしても、榮久庵さんの文章は本当に読みにくいですねー
比喩が面倒くさいし、例示が主観に偏ってる気がするし、話は唐突に飛ぶし、1章は特にイラつきました。

そのためか、本書の大筋というよりはむしろ、細かい部分にピンポイントで興味をもてる部分が散りばめられていたといったほうが感想としては妥当かな。
「田」「風」「箱」という一字は、日本人らしい文化を表している、とか。とくに、一定の制限を設けて中で区切る「田」と、さらに蓋をして時間的にも区切りをつけ遮断するという「箱」の話が面白かった。それから以前、日本の「包む」文化についての本を読んだことがあるんですが、その話も想起させました。

幕の内弁当という、あまり気にも留めないような対象に日本人の哲学を見出すという着眼点と根拠に注目し、それを読者なりに批判しながら身近なものへの価値の転換ができれば、本書の内容はマスターです。

|

2009年1月29日 (木)

大好きなパウルクレーより

修論が落ち着くまでは、3年生もラクな平面で時間を稼ごうと思い(汗)、残しておいたフェザーカラー&あまっていたトレペで、色面構成にしちゃいました。
そのままでもきれいなんですが、写真のように光に当てることで、新しい色と形が出てきて、子どもたちは大喜びです。

私はクレー大好きで、画家の紹介をすると子どもも喜ぶので、クレーを紹介しながら色と形という要素でイメージを表すという話にもっていきました。
具象的なものを表したがる年頃だけど、幾何形体だけでも表現の幅は無限だということに気づいて驚いた様子。

二つの画面が生まれるように、黄ボールで枠とスクリーン作りからやらせました。
ベタですが、「喜びと悲しみ」「朝と夜」「昔と今」「炎と水」「地上と地中」…など対比する好きな言葉のイメージを、二つの画面に落とし込んでいます。

29d29b_3 29e_229a_2 29c_2  

|

2009年1月28日 (水)

また模様替え

最近さむいので、ブログを赤くしましたー
気にさわるモチーフだけど「星」アイコン。
いま背景に合う絵がこれしかなかっただけで、深い意味はない。annoy
イヤだからなるべく早く変えよっと。

目がチカチカするかな?
見づらかったら言ってください。戻しますので

|

ゾウを探せ⑪

論文と修了制作、終わりましたー(^^)
終わった、というか終らせた、というか。
制作といっても論文の内容を少しいじって、パネルにしただけです。
チャチャチャっと終わらせてしまった(-.-;
大学院生は、皆クールというか、学部生に比べて温度差が顕著です。
論文が主の人にとって、制作は、「修了できればいい」温度なのです。

で、ブログネタがないので、またゾウ。
ゾウを探せシリーズは、きりがないので、あと2~3回で終わりにしよっと。

お気に入りのマグカップです。
ゾウのイラストと一緒に書いてある英語を読むと、意外にもゾウの生態が書いてあって、ギャップが面白い。

Img_1563

|

2009年1月27日 (火)

ゾウを探せ⑩

ゾウを探せシリーズ、早くも10回目。

インド綿のエプロン。
ほんとはピンクとか黄色とか緑とか、あり得ない派手色のゾウはあまり好きじゃないんですよね。
エルマーみたいな、チェックのゾウなんてダメですね。
黒、白、茶、灰、銀の無彩色や地味色のゾウが好きです。
あ、でも真鍮系の金は伝統工芸っぽくて好きです。

でもこのエプロンは、ピンクのゾウだけど気に入って使わせて頂いてます。

Img_1564_2

|

2009年1月25日 (日)

『ブラックホールの科学』

Img_0624_2 「ちょっとだけ…」と読み始めたら最後、結局やることやらずに全部読んでしまった。
羽馬有紗『ブラックホールの科学』(ベレ出版,2008)。
博士とともに宇宙を旅しながらブラックホールや宇宙についての教養を身につけるという構成の、とてもチャーミングな本です。

小学生の頃、NHKを観て世界一の天文台を使いこなす天文学者に憧れていた。
中学生の頃、どうしたら宇宙に行けるかを考えていた。
高校から浪人~大学入学まで、地学にハマり、ハッブル写真集だとか宇宙の本を読みまくった。
大学では、友人と宇宙の神秘について、夜を徹して語り合った。そのくらい、宇宙の話、大好きなんです。

この本の中で一番ワクワクしたのは、
①ダークマター(暗黒物質)の存在
  →「目には見えないけれど、確実に存在する」
   という謎の物質が宇宙空間に存在する。

②ブラックホール付近での光の屈折
  →ブラックホール付近では光の屈折によって、一つの物がいくつも見えたり、
   目の前に自分の後ろ姿が見えたりする。

③重力による時間の流れ方の違い
  →ブラックホール付近と、地球などその他の場所では時間の流れ方が異なる。
   たとえば私がブラックホールに吸い込まれるとき、私にとってはほんの一瞬でも
   地球から見るとゆっくり過ぎて永遠に静止しているかのように見える。

浦島太郎やホラー映画みたいな非現実的な話が、
ブラックホールの周りでは起こりうるというのがおもしろい。
それから、「死んだ人がお星様になる」とか「幽霊がいる」とか、そんな子どもだましの非科学的なことも、まんざらあり得ない話でもないなって考えさせられる。

とにかく、宇宙のスケールと謎とロマンは、
無限大∞∞∞なのです!!

|

2009年1月24日 (土)

最近

の話。

最近、出退勤時に斎藤和義と玉置浩二を聴きまくっています。
BANK BANDの影響です。

最近、部屋が汚くて家事が進みません。
修了研究に追われて、資料を使う速度に片付ける速度が追い付かない。

最近、教材研究をろくにせずに授業をやってしまっています。
本業との両立は難しいですが、その場しのぎでも何とかなってます。

最近、行先はこだわらないから国際線の飛行機に乗って離陸したいです。
国内だけど、修了審査が終わったら後輩とまた旅行に行こうと思います。

最近、となりの研究室のミ○コンさんの誕生日でした。
後輩達が、うちの研究室のキッチンで本人にそっくりなケーキを作ってました。
さすが美術科。

Img_0617

|

2009年1月23日 (金)

またメガネ…

5年生…スチレンペーパーの版画です。
スチペは簡単に切れるので、細かい版にはもってこい。
事情があって作品の完成を急いでたので、ローラーでインクをつけてプレス機に通す必要がなく、筆とアクリルと指圧で刷れるのでラクでしたw

メガネというモチーフには、子どもから大人まで強い関心を示すことがわかり、実験のつもりで平面に落とし込んでみました。
テーマや、子どもたちと共有した問いについては、話すと長くなるので省きます。

彼ら、なかなか洒落たメガネを作ってましたsun
写真は、作品の一部をトリミングしています。

Img_2496_2 Img_2495_2 Img_2500_2

|

2009年1月22日 (木)

かなりマイペース…

最近修了研究の大詰めのため、正直なところ授業に全力投球する余裕がありません。
しばらく日記や図工の記事を書いてませんでしたね。

最近やった題材です。
1年生…シュウロン提出と重なり、
ぶっちゃけ当日まで授業何するかほとんど考えてなかった!(爆)
捨てずにとっておいたカラードフォルムの切りくずが大量に残っていたので、急きょこれを使って造形あそびにしちゃいました。

焦って考えた題材名、「どんどんつながる にぎやかな色」。ださい。

準備全くしてなかったけど、うまくいった。
偶発的に出会ったカタチってところがよかったみたいね
しっかり教材研究すれば、もっとよい題材になりそう。

材料、ゴミに見えるでしょ?
そうなんです。3年生の授業で出た切りくずなんです(汗)
でも子どもは「エコだエコだー!」なんていって喜んでたけどsun

Img_0575_4 Img_0597_2 Img_0606 Img_0589_2 Img_0593

|

2009年1月21日 (水)

『いのちの食べかた』

ゆうべシュウロン提出の後に読みました。
森達也『いのちの食べかた』(よりみちパン!セ,2004)。

Inochinotabekata_3 毎日食卓に上る肉は、どのような過程を経て私たちの手元に届くのか…と、知られざる事実を明かしながら、「いのちを頂く」ということや「いのちの尊さ、憐れみ」といったことについて、深い発問から話が始まります。

肉という題材のもとに、食育にはとどまらず、メディアリテラシー、社会の仕組み、差別、戦争と平和、人の心、歴史、政治、宗教哲学、human being…といった、様々な問題について大切なことを教えてくれます。
内容は多岐にわたっているのに、「他のいのちをいただく」というテーマは、根底で一貫している。
一冊丸ごとに高い道徳性が見られる良書といって過言ではないでしょう。

かなり深く研究しただろうなと思うような重要なデータが、非常にわかりやすい平易な文章でまとめてあり、要点が自然な流れで示してあります。
量もページ数も多くないのに、日本人として現代人として知らなければならない色々なデータが一冊で得られて、かなり儲けたと思いました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分では「食」や「命」についても、まぁ意識は低いほうではないかなと思っていたんだけれど、とんだ思いあがりだった。
自分たちが招いてしまった様々な問題をきちんと知らずに、人類全体で目を伏せてきたことも反省させられました。
たとえば、楽しくて大好きな動物園が、私たちの暮らしにどれだけ残酷なつながりがあったか。なぜウサギは動物なのに「1匹、2匹」ではなく「1羽、2羽」と呼ばれるのか。
人間が築いてきてしまった悲しい現実を知って、目からウロコがボロボロ落ちました。

中盤からは、目からウロコではなく涙がボロボロ落ちました。
はっきりいって、悲しいことや衝撃的なこともたくさん書いてあります。
でも、だからこそ見て見ぬふりをするんじゃなくて、真正面から向き合って「知る」ことが大切であると思います。

自分という存在、生きるということ、そして社会の中で自分に何ができるか。
食卓に並ぶ肉を見つめながら、人類にとって根本的な問題をじっくりと考えさせられる良書です。

|

2009年1月20日 (火)

シュウロン出した~

今日、修士論文の提出日でしたー!!
ようやく終わった~(TΔT)shineshine

でも来週が制作締め切り、来月が修了審査会。
まだまだ山場は続きます。

今日は論文提出日だというのに、もちろん容赦なく授業がありました。
しかも異学年複数クラスだったから疲れた。
さらに展覧会の作品搬入も重なって、なんかテンパりました。
そして、今日なすべきことが終わってホッとしたのか、気づいたら午後、
研究室で寝袋にくるまって寝ていました。

ところで今朝学校に出勤した時、昇降口をはいってすぐの職員室の壁に、
あるバカデカい貼り紙がしてあることに気付きました。そこに書いてあった言葉とは…

Yes, we can !!

…しかも半紙に筆ペンでです。書き初めでもしたんでしょうか。
さらに横には、Mr.オバマが天を指差す白黒写真がバーン!!って貼ってありました。

笑いました。

そして職員室から図工室に行くまでに図書室を通過しなければならないのですが、図書館を入ってすぐの棚に、またしてもオバマさんの写真が…。

笑いました。

おかしくないですか?

|

2009年1月18日 (日)

『道具論』

Douguron 私の見解としては、藤本儀一の『モノロジイ』を、さらにディープでワイドに広げていった感じだなと思いました。
榮久庵憲司『道具論』(鹿島出版会,2000)。人とモノの関係やモノの存在を、デザイン、仏道、環境、文化、歴史といった様々な角度から語っています。
別の言い方をすれば、モノを介在して人類という存在について考えさせられる内容でした。

内容は面白いんですが、はっきり言って難解です。
語彙や言い回し自体は平易でわかりやすいんだけれども、本人の主観、客観的事実、アカデミックなデータが無秩序に登場している感じで、章立ても論理的に整理されていないというか、話の流れに必然性を感じなくてそういう意味で読みづらかった。

新しい製品を作るとか、買い物をするとか、環境問題を考えるとかいう前に、私たちは人類とモノの関係や、モノとは何ぞやということをまず認識していなければならないと思います。
そういった意味では、デザインと仏道という異なる視点を経験的に持ち合わせている榮久庵さんの論は、新鮮で面白いんじゃないでしょうか。

彼は物欲を掻き立てることを肯定する立場をとっていて、それなのにモノに対してストイックに保守的で、矛盾しているのに納得できて、それが不思議だったし意外でした。
あと、かなり細かい部分だけど、人間のもつ欲に「美欲」が含まれるっていう造語がかなり印象に残ってます。
それから、終盤で道具供養の誓文と称してある五箇条を提言しているんですが、これがなんだかんだいって「提案(デザイン概念のプレゼンのシメ)」みたいになってて、あ~やっぱり仏道とか何とか言っててもデザイナーだなぁと思い笑ってしまった。

もしも手塚治虫さんが生きていたら、この本の内容を漫画にして描いてほしかった!!!!!
竹之内春菜

|

2009年1月17日 (土)

追記

何人か茂木先生の本について個人的にレスくれたからここで追記するねん。
私はよく彼のブログ読んでてね、面白いよ。
著書の引用とか紹介もあるし、日常が解るし、いろんな情報がタイムリーに入ってくるよ。
私が紹介した以外にも、たっくさーん著書はあって、きっと興味も相性も人それぞれ違うと思うから、一番気になるタイトルから入ると一番いいのではないかと。

|

『すべては音楽から生まれる』

Mogi_2 私は茂木先生の、なにより専門分野、守備範囲が広いところに惹かれる。
「天は二物を与えず」という慣用句があるけれど、私は、一つの分野に秀でる人は自ずと異なる分野でも秀でてくる場合が多いと思っている。
そのわかりやすい例が彼だと思う。
脳を研究する立場から語るからこそ、音楽についての彼の考えにも説得力があった。

今日読んだ本、茂木健一郎『すべては音楽から生まれる』(PHP新書,2008)
「人生のすべてが音楽である」。この茂木さんの言葉は的を得ていると思う。
茂木先生のいう音楽は、必ずしも「音」として聴覚で認識できるものとは限らないんですが、そういう広い意味で考えて自分の中や周りの音楽を見直すと、音楽って本当にあらゆるものの根底にあります。

ただ、茂木先生の「音楽はすべての芸術をつかさどる」「音楽はほかの芸術と一線を画す」「最も生命原理に近い、生命哲学の根幹にかかわる」という表現には疑問を感じます。
もちろん、音楽を流動やリズムといったように広義にとらえると茂木先生の主張も分からなくはないのですが…
昨日数学の本を読んだ時には、数学だって「あらゆる芸術の根底にある」とも、「生命原理に近い」とも感じました。
そもそも音楽の中にも数学はあるし、逆に数学の中にも音楽はある。
つまり、本来「音楽」とか「美術」とか、他にも「数学」でも「物理」でも何でもいいんですが、学問の分野ってのは宇宙の中の地球に後から生まれた人間が、便宜上勝手に分類して名前を付けたわけでしょ。
だから他と音楽を切り離して考えるのはナンセンスじゃないかと思うんです。

まぁそれはいいとして。
私は茂木先生が本書で挙げていた「無記」の哲学がとても好きです。
いや、好きというか、重要なことに思えてなりません。
簡単に言うと、わからないものはわからないんだから、無理して断定的なことを語ったり答えを出そしたりするのではなく、わからないまま受け入れる、というような思想なんですが。
この「無記」という考えが、昨日読んだばかりの『世にも美しい数学…』とリンクしました。
数学者は、一生を賭してでも発見された定理が正しいかどうか証明しようとする。
分からないまま終わらせるのはダメなんですね。
そこが私には理解できないところでした。
何事も論証する必要はないじゃない。もっと心のままに感覚で生きてもいいじゃない。
理屈抜きで、いいものはいい。悪いものは悪い。
必ずしも証明する必要なんてない、そう言いたかった。
茂木さんは音楽の話の中でしばしば数学も持ち出すんですが、そんなわけで昨日読んだ数学とリンクたわけです。

しかし「ライブ」(生演奏)は確かに旋律=戦慄を感じさせてくれますね。
私は素人ですが、クラシックをホールまでお金を出して聴きに行くこともあります。
それから先日、身近なひとに某和楽器を目の前で演奏してもらい感動しました。
そして生演奏を聴いたあとは生命に新鮮な水が流れ込む感じで、新しい発想も湧くしやる気とパワーが自然な感じにみなぎってきます。
茂木さんの言うように「音楽のように生きる」って、こういうことなのかなーと思ったり。

|

2009年1月16日 (金)

『世にも美しい数学入門』

Yonimoutsukushiisuugaku_2 最近読んだ本。というか、今朝の目覚めの勢いで読んだ本。
藤原正彦/小川洋子『世にも美しい数学入門』(ちくまプリマー,2005)

テスト前に勉強するのが嫌で「数学なんて勉強して、何の役にたつの?!」
なんて文句を垂れていた高校時代を思い出します。
でも今日、「役に立たないからこそ、数学と向き合う」べきだということが、ストンと腑に落ちました。
学校教育の教科としての数学では、数学のもつ根本的な不思議さや美しさ、愉しさといったものを教えるべきだと本当に思います。

先日読んだ某アーティストのエッセイの、「永遠なんてない」という言葉が頭に残っていました。
でも、少なくとも数学の中には「永遠」が確実に存在すると、この本を読んだ今の私には断言できます。
(別に∞が永遠に続くということではないんです。)
なのに、どんなに普遍的であっても、文化という土壌ではぐくまれてきて国や地域で異なる様相を持つというおもしろさも数学は持ち合わせている。

ところで、美術を専攻してきた私にとって、「美」というのはしばしば議論のテーマです。
美の定義とは…?美は普遍的なものなのか…?美ありきか、ヒトありきか…?等々。
以前、M歩ちゃんと「美」という概念について話し合ったのを思い出しました。
「美」という漢字は、羊が大きいこと。これは何を意味するか?とか、
webを扱う人間の言う「美しい」は、C言語が整理されていて合理的なこと、とか。
でもこの本の中で提示される定理や数式を見ていると、感覚的にだけど
確かに美しいということがわかるんですよ。
美しい数式は、本当に美しい。

数学者とか理系人間て、理論や理屈、合理性でものを考えるカチコチの頭を持ってるのかと思ってました。(偏見ですよね、すみません。)
でも、数学者こそ美意識を持っていないといけないし、詩人であり独創的なセンスだとかひらめきを持っていないと学者として務まらないのだということが解り、驚きました。
確かにミケランジェロやダヴィンチを見ても、理科と芸術ってつながりが強いのを感じますし、創造力や想像力て、すべての学問に通じていますよね。

そういえば、学者(科学者を含めて分野を問わず)は一流になればなるほど、神という非科学的な存在を肯定するという話を以前どこかで読みましたが、本書の中でも当然に神が存在している前提で話が進み、神が擬人化されて書かれてるのが興味深かったな。

数学って面白いし美しいのはわかるんだけれども、数の概念の世界は宇宙を超えるほどスケールがデカくて気が遠くなってしまいます。
フェルマー証明のために自殺した数学者の話とか、一つの数式の証明のために人生を棒に振るだとか、まあなんでも本気でやれば様々なリスクは背負うことになるんでしょうが、数学のそれはあまりに怖いと感じます。
とりあえず、自分は絶対に踏み込まない領域だなというのは確信しました。

|

2009年1月15日 (木)

ゾウを探せ⑨

たわしで作られたゾウ。

でもたわしとして使うのには忍びないので、飾ってます。
というか、つるしてます。

Img_1558

|

2009年1月13日 (火)

『モノロジイ』

「モノにも命がある」というような比喩を目にすることはありますが、藤本義一の『モノロジイ』(グリーンアロー出版,1996)を読んでみてください。
身の回りのモノには、命どころか感情や引力が宿ってるかも…なんて思えてくるかもしれません。

べつにオカルトな内容でもなんでもないんだけれど、モノは自分の写し鏡とでもいうか。
モノを通してヒトを見ることができるし、その逆もまた然り、なんてことを考えさせられます。

私は曲がりなりにもプロダクトデザインをかじっていて、やはり「モノ」って気になる対象。
それだけに、人とモノの関係というのを結びなおして考えるきっかけにはなりました。
随筆なので単純に面白し、結構好きな本です。
モノ+~logyで「モノロジイ」なんていうセンスにも惹かれる。

Monology_2

|

2009年1月12日 (月)

えんぴつさん

鉛筆を小刀で削っていました。

シュッシュッ、カリカリ。
擬音語は何でもいいんですが、とにかく感触が心地よいのです。
鉛筆と小刀の対話のような音を聞いていて、考えてました。

8000年以上前に、棒でひっかいて痕跡を残す「かく」(書く、描く)という道具が発明されてから、他のあらゆる道具がそうであるように、筆記用具も様々に進化を遂げてきました。
鉛筆という道具は、その一つです。
指の太さほどもない小さな鉛筆には、実はいろいろなものがギュッと詰まっている気がするんです。

①まず、「創造」に必要な要素を体験させてくれる。
いいかえると「職人」の疑似体験をさせてくれる。
ものづくりをする職人って、自分の手に合うように道具を手入れして使うんですよね。
ナイフを使って鉛筆を研ぐということは、芯が折れないように、無駄のないように、使いやすいようにと道具と対話しながらを手入れすること。
ものづくり、つまり創造の原点のような気がします。

②次に、屋内にいながらして、最も身近に自然を感じさせてくれる道具なのではないかと感じます。
日本人にとって身近な「木」。
日本いる限り、家屋、家具、食器…と気に触れることは多いですが、こんなにダイレクトに、素手で無垢の木に触れていることってなかなかないのではないかと思います。

③最後に、人類の潮流さえ、鉛筆からは垣間見ることができる気がします。
なんだか大きなことを言っているようだけれど、そんなに難しいことではありません。
モノは様々に改良され、発展する。
鉛筆も例外ではなく、グラファイトが発見されてから現在の姿や品質になるまで、実に長い歳月を賭してきたんですね。
はじめは黒鉛を糸で巻いたり、木の板ではさんだりしたけど、いま木軸に包まれるという形でいったん落ち着いている。
でも芯にしたって、黒鉛と粘土の比率や、強度と強さの関係とか、もてる技術を駆使して最良のカタチを追及されてきたんです。
しかし一方で。
こんなに進歩しても、絶対に変わらないことがある。
それは、人は書くことをやめないということ。
コンピュータが普及しても、携帯電話で用件を済ませられるとしても、やっぱり人間って燃料や電源がなくても動けるプリミティブなものに終始するんですね。

わたしは手で「かく」ことが好きです。ブログなんかやっているけれども。
たとえば鉛筆という道具を取り上げましたが、身の回りには、このようにいろいろなことを省みさせてくれる道具がたくさんあると思いませんか。

Pencil_3 我が家の長老えんぴつたち。

|

2009年1月11日 (日)

1+1=□

「1+1」の答えって、何でしょう?本当に「2」なんでしょうか?

私が大学生のときにも話題にしたことがありましたが、
あるとき小学生に「1たす1は何でしょう?」と聞かれました。
普通に「2でしょ」と答えると、「ブー× 答えは1でーす。だって、粘土のかたまりを1つ用意して、こっちからもう1つ、合わせると1つになるでしょ」と言われたんです。
このときは屁理屈と思いましたが、やっぱり一理あるなと思う今日この頃。
というか、この柔軟な考え方って大切だと思うので、反論も否定もできない今日この頃。

そもそも「1+1」の概念は、簡単に言うと「個体1つと、個体もう1つを合わせたときに何が起こるか」みたいなことらしいんです。(某私大の数学科の友人に聞いた)
個体というのは「固体」ではなく、あくまで「個体」。物理的なものとは限りません。

で、今になって改めて「1+1」を考えていたら、いろんな答えが出ました。
まず、
1+1=2
 これは、小学校1年生で習う、いわゆる普通の「足し算」。
1+1=10
 2進法なら、10になりますよね。
ここまでは数学的な正答なので、疑問をもつ方はいないでしょう。

それで、他の人にも聞いて出してもらった回答が以下です。
1+1=0
 1本のキャンドルの火に、コップ一杯の水を加えると消えてしまう。
1+1=1
 1℃の水に1℃の水を加えても、1℃である。
1+1=2 のち1+1=1 さらに1+1=0
 ネコにネズミを加えたら計2匹になるけれど、そのうちネコはネズミを食べてしまう。
 ネズミを与えられないと餌を獲得できなかったネコは、最終的に飢えしまい0になる。
1+1=5
 父と母が結婚して、兄貴と自分と妹が生まれて、5人家族になったって言ってました。
 つまり、1+1のあとに(+3)が隠れてるんですね。
1+1=10
 一人と一人が握手をすると、10本の指が重なり合うことになる。
 ちなみにこれは苦悩の果てに出した、私の答えです。
 数学的じゃないけど、この答えわりと気に入ってる(^-^;
1+1=∞
 絵の具の黒と、絵の具の白を合わせると、無限のグレートーンが生まれる。

番外
⑨1+1=11
⑩1+1=田

もう、数学の範疇からは逸脱してしまっている気がするのですが。
何を足したいのか、加えたいのかによって、様々な解答が生まれるということですね。
ここで「1+1」という式から共通して見えてくることがあります。
それは、別の何かと何かを合わせると新しいものが生まれる、という創造性です。

|

2009年1月10日 (土)

ゾウを探せ⑧

そういえば、ごみ箱もゾウだった。

6年前くらいから使ってるんだけど、普段はあまり気にも留めてない。
空飛ぶ絨毯とか映ってるからアラビア圏の柄?
なんて思ったりするけど、アラビアの国にゾウなんていたっけ…

畜光塗料をつかってるので、暗くなると、このごみ箱光ります(笑)

Img_1554

|

2009年1月 9日 (金)

ゾウを探せ⑦

ペンたて?。
筆、ハサミ、糸切りばさみ、ペーパーナイフ、Gペン、ガラスペンを入れている。
ステンレス製のエキゾチックなカップ。
よく見ると結構怖い意匠です。
持ち手もゾウの顔だし。

これはどこで入手したんだっけなぁ

Img_1545

|

2009年1月 7日 (水)

ゾウを探せ⑥

子どもの過去の作品、MDF版画の版です。

これ自体は作品じゃなく、作品はあくまで版画の平面作品。
図工室のコンテナに入れられ、「処分するしかない」状態だったので
もらってきちゃった。かざっちゃった。

Img_1536

|

2009年1月 6日 (火)

ゾウを探せ⑤

子どもの作品

の、切れ端。
つまり、切り抜いた顔を作品に使い、周りのいらない部分がこれ。(笑)
図工の時間に5年生の男子がくれた。
「はい!先生の好きなゾウだよ!」

面白いからもらっとこ。

Img_1538

|

2009年1月 5日 (月)

ゾウを探せ④

部屋の隅にぶら下がってるゾウ。
いわゆるソフビというやつですね。
鼻と後ろ脚が動きます。
こういうリアルなの結構好きだったりする。

弟からのプレゼント(笑)

Img_1556

|

2009年1月 4日 (日)

ゾウを探せ③

友人のN村祥子ちゃん(バレバレ)から数年前に
誕生日プレゼントにいただいた、タイ土産。
中にはおいしい紅茶が入ってました。

カギ、時計など毎日使う小物を入れてます。

ちなみに正面の金の花形意匠は自前。

Img_1544

|

2009年1月 3日 (土)

ゾウを探せ②

いつも持ち歩いてるカギ。

エキゾチックなエレファント。

Img_1539

|

都会生活の不安

ふいに、胸騒ぎがしました。
胸騒ぎというか、急に過去の雑居ビルの火災の事件が頭をよぎり、
「私がネットカフェで論文を書いているときに、ビルで火災とかが発生したらどうしよう」
「そんなことも、ないとは言い切れないな」とここ2,3日考えていました。

で、なんか嫌な胸騒ぎがしたんですが、昨日もネットカフェに行って論文の作業をしていたわけですよ。

そしたら。

夜8時前ごろ、やけに消防車がよく通り、外が騒々しくなったんです。
するとネットカフェのスタッフのお姉さんが、個室ひとつひとつ丁寧にノックして回り、
「いま、このビルの上の階でガス漏れが発生しました。先ほど○○消防署から連絡があり、安全は確認されたということですが、お客様のご気分はいかがでしょうか。体調の不調などありましたらお申し出ください」と…

いやいや、特に私たちネカフェ利用者には何事もなかったんですが。
でも、やっぱりこういうことってあるのか。
雑居ビル火災もアキバの殺傷事件もなかなか忘れられない事件ですが、都会生活ではいろんな予期せぬ事が起こるんですね。
あ、いまや都会も田舎も変わらないか。
いつどこにいても不安と隣り合わせの、嫌な世の中です。

まぁ今回は大事ではありませんでしたが、またもや予感的中です。
私は勘や予想が結構あたるほうです。でも驚くことはありません。
嫌な予感がしたら、回避や対策しなきゃ意味ないのに。
普通に居座っていられる私ってふてぶてしいですね(^^;)
しかし現代を生き延びるのに、確かに勘や運って大事ですよね。
事件がおきたとき、たまたま別の場所にいて助かった、とか。
急に気が変わって、予定変更したら脱線事故から免れた、とか。
よく聞く実話です。
みなさんは、そういう能力をどうやって鍛えていますか。

|

2009年1月 2日 (金)

新年なので
ブログのデザインをガラッと変えてみました。

タイトルバナーは、旅先で撮った写真を編集して
数回デザイン替えなどしてましたが、今回は手書き文字です…
デジタルな中に、あえてアナログフォルムを投入。

ケータイからはご覧になれません。

間延びしてるようにも思うので、不評だったらまた変えます(汗

こんなこと、記事に書くほどのことではないんだけどね。

|

ゾウを探せ①

すみません。
これから数日間は、シリーズものを自動更新をさせてもらいます。
なんてったって、6日が修論の1回目の提出日なので。
テーマは身の回りにいるゾウ探しです。

テレビの上のゾウ。
私が高校生くらいの頃(7~8年前?)、弟が買ってきた食玩。
「パッケージがゾウだったから買ってきたけど、中身は何の動物かわからないよ」
といいつつ、目の前で開けたら奇しくもゾウだったー!!

お母さんゾウが持ってるのは、ご覧のとおり、リンゴです。
前にうちに遊びに来てくれたN藤真維ちゃんが、ミカンのネットを丸めて
リンゴにして、ゾウの鼻に挿して帰りました。
色の奇抜なところと、大きさのアンバランス感がなかなか気に入ってます。

真ん中の箱は、知り合いのフリーデザイナーniinaさんから頂いた作品。
マッチ箱のようなケースから取り出すと、中身はミニ絵本になってます。

Img_1533

|

2009年1月 1日 (木)

A HAPPY NEW YEAR!!

みなさま、あけましておめでとうございます!

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年は真面目に生きたいと思います。
もう、あんなことや、こんなことで、失敗はしませんっ。

竹之内春菜

|

ペット

知らない人のブログを見るのが最近楽しい。
山歩きでいろんな瓶を拾う瓶コレクターとか、豚を飼ってる人のブログとか。
で、最近豚を飼ってる人のブログを見たり、友人のペットの亀に会ったりしてるうちに
どうーしても、どーしても珍ペットが飼いたくなってしまいました。

私が飼いたい動物といえば、そう。ゾウです。
私がどれだけゾウを愛しているか…(T_T)
幼少期、毎日一緒に寝ていたぬいぐるみはサテン生地でできた「ゾウ吉」でした。
今も、友人知人から頂いたゾウグッズが部屋にたくさんあります(笑)
自分で作った作品にも、ゾウが出てきたりします。

まぁそれはいいとして。
ゾウって、ワシントン条約や何やらで、日本国内の個人の家で飼うことってできないんですって(ToT)
夢、破れたりー…crying

一方で、うちの父がペンギン大好きで、ペンギンを買うことを夢見ているようです。
私も、ゾウほどではないけれどペンギンもなかなか好きなので、いろいろ調べてみました。
そしたら、ペンギンって費用や場所などの物理的な問題がクリアできれば、普通に扱ってるペットショップもあるし、種類によっては個人でも買えるみたいですね。
生体は一体で70万~200万円くらいのようです。

で、横浜でペンギンカフェ、新宿でペンギン居酒屋なるものを見つけました!
今度行ってみようと思います。

Img_1532_2 うちのペットの小型ゾウ、
ゾウ太です。
テノリゾウという種類です。
ネーミングセンス0点。


昔は弟が飼ってたんですが、
ゾウ太からの申し出により
2年ほど前から私が飼うことになりました。

毛がフサフサで、振り上げた鼻がなんとも力強く、たくましげ。

|

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »